78CDR-3836
ブラームス
子守歌 作品49の4 (その2)
1928-1953年録音
今回はブラースの「子守歌」の後編として日本人アーティストを含めてた7枚を取り上げた。録音年代は1928年から1953年である。すべて電気録音。ブラームスの子守歌の作曲年代は1869年、作曲者ブラームスが35歳の時の作品。ブラームスが指導していた女声合唱団のメンバーだったベルタ・ファーバー(Bertha Faber)の次男出生を記念して作曲されたと伝えられる。初演は1869年12月22日にウィーンで行われた。復刻には「音のエジソン」
http://www.otono-edison.com./ のSPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。
(1)藤原義江(テノール) マクシム・シャピロ(ピアノ)
NIPPONOPHONE 16747(JP)(25cm両面盤)
1928年発売 (堀内敬三・訳、日本語歌唱)
藤原義江(1898-1976)は大阪府生まれの男性歌手。父親がスコットランド人で母親が日本人。戦前から戦後にかけて活躍した。藤原歌劇団の創設者。ピアノのマクシム・シャピロ(1885-1958)はロシア出身。1927年から1939年まで日本で活躍した。1917年のロシア革命後にドイツに亡命。1927年日本に移住し、映画「藤原義江のふるさと」にピアノ伴奏者として出演した。1933年に大阪音楽学校のピアノ科教授。1939年にアメリカに渡った。
(2)関屋敏子(ソプラノ) 日本ビクター管弦楽団
VICTOR 13076(JP)(25cm両面盤)
1930年9月発売 (堀内敬三・訳、日本語歌唱)
関屋敏子(1904-1941)は東京生まれ。少女時代に三浦環(たまき)(1844-1946)に学び、東京音楽学校に進むが中退し1925年にデビュー、その後イタリアに留学、ボローニャ大学で学んだあとスカラ座のオーディションに合格しヨーロッパ各地で歌った。1929年に帰国、翌年、藤原義江と「ラ・トラヴィアータ」をを共演した。その後ふたたびアメリカ、ヨーロッパに渡り演奏活動を続けた。1934年に帰国するが、芸術上と生活上の行き詰まりから1941年に37歳で眠薬自殺を図った。
(3)リア・ギンスター(ソプラノ) ジェラルド・ムーア(ピアノ)
HMV DB1874(U.K.)(30cm両面盤)
1933年1月30日ロンドン、アビーロード録音(電気録音)ドイツ語歌唱
リア・ギンスター(1898-1985)はフランクフルト生まれ。ハイスクール卒業後フランクフルト高等音楽院で声楽を学び、さらにベルリン音楽アカデミーで指導を受けた後ヨーロッパ各地の音楽舞台に登場しスターになった。1938年チューリッヒ音楽アカデミーの声楽科の教授になり、30年以上その地位にあた。
(4)エルナ・ベルガー(ソプラノ) ハンス・アルトマン(ピアノ)
POLYDOR 47068(Germany) 1936年6月16日録音 ドイツ語歌唱
エルナ・ベルガー(1900-1990)はドレスデン生まれ。1926年フリッツ・ブッシュに認められドレスデン国立歌劇場と契約、のちにベルリン国立歌劇場、ハンブルク国立歌劇場を中心に活躍した。1955年引退後ハンブルク音楽大学で教鞭をとった。1958年に来日。
(5)エリーザベト・シューマン(ソプラノ) ワルター・ゲール指揮管弦楽団
HMV DA1562(U.K.) 1937年3月11日ロンドン、アビーロード録音
ドイツ語歌唱エリーザベト・シューマン(1888-1952)はメルゼブルク生まれ。ドレスデンとハンブルクで学び1909年にハンブルク歌劇場でデビューした。1937年ナチスのオーストリア併合でアメリカに移り、ニューヨークで晩年を送った。
(6)ブランシュ・シーボム(メゾソプラノ)
マックリン・マーロウ指揮 ヴィクター弦楽オーケストラVICTOR 10-1173(U.S.) 1945年4月3日録音(訳詞: Arthur Westbrook) 英語歌唱ブランシュ・シーボム(1915-2010)はアメリカのオペラ歌手(メゾソプラノ)。ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の専属として20年以上活躍した。1961年に来日。
(7)三宅春恵(ソプラノ) 三宅洋一郎(ピアノ)
VICTOR NK-3136(JP) 1953年頃発売(訳詞: 大木淳夫、伊藤武雄 日本語歌唱)三宅春江(1918-2005)は福岡市生まれ。1939年東京音楽学校卒業。ヘルマン・ヴーハー=プフェニッヒに師事した。ドイツ、オーストリアに留学。フェリス女学院短期大学名誉教授。ピアノの三宅洋一郎(1914-1994)は熊本県生まれ。長年にわたり日本女声合唱団の指導、フェリス女学院短期大学楽長などをつとめた。三宅春恵の夫君。