78CDR-3833 ※機械式録音盤からの復刻音源
プラームス:子守唄 作品49の4(その1)
1913-1915年録音
今回はブラースの「子守歌」の機械式録音(ラッパ吹き込み)4枚を取り上げた。録音年代は1913年から1915年の2年間である。ブラームスの子守歌は既発売の「モーツァルトの子守歌」(78CDR-3827)や「シューベルトの子守歌」(78CDR-3830)と同様にラッパ吹き込みのSPレコード時代から数多く発売された。作曲年代は1869年、作曲者ブラームスが35歳の時の作品。ブラームスが指導していた女声合唱団のメンバーだったベルタ・ファーバー(Bertha Faber)の次男出生を記念して作曲されたと伝えられる。初演は1869年12月22日にウィーンで行われた。
復刻には「音のエジソン」
http://www.otono-edison.com./ のSPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。
(1)カール・イェルン(テノール) ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(チェレ>スタ)
独GRAMOPHONE 4-42561 1913年10月20日ベルリン録音(機械式録音)ドイツ語歌唱
カール・イェルン(1873-1843)はラトビアのリガ生まれ。1896年22歳でドイツのフライブルクとリヨンでデビュー。1898年チューリッヒの州立歌劇場、1899年ハンブルク歌劇場、1902年-1908年ベルリン国立歌劇場に出演していた。皇帝ヴィルヘルム二世のお気に入りだった。1908年にアメリカに行きメトロポリタン劇場に出演した。1913年秋ベルリンに戻り、「パルシファル」が絶賛されヨーロッパ永住を説得されたがアメリカに戻った。ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(1880-1960)はドイツ生まれのピアニスト、指揮者、編曲者。1890年代にドイツ・エジソン会社の録音ディレクタを務めた。1903年から1923年には ドイツ・グラモフォン会社に奉職し数多くの録音に携わった。1908年のビゼー:歌劇「カルメン」の初の全曲録音(カルメン役はエミー・デスティン)、1923年 にはベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」の初の全曲録音を行った。また1938年のジネット・ヌヴーの初録音(78CDR-3148)のピアニストをつとめていた。
(2)エレナ・ゲルハルト(ソプラノ) ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(ピアノ)
独GRAMOPHONE(25cm片面盤) 1914年1月13日ベルリン録音(機械式録音)
ドイツ語歌唱
エレナ・ゲルハルト(1883-1961)はライプツィヒ郊外のコネヴィツの生まれ。 ライプツィヒ音楽院で声楽を学び、当時音楽院の院長だったアルトゥール・ニキシュ(1855-1922)に認められ、20歳の誕生日にニキシュの伴奏でデビューした。1933年からロンドンを拠点に活動するようになり、1947年に引退した。ゲルハルトはこのシリーズで電気録音時代のものが多く出ている。
(3)ユリア・クルプ(コントラルト) ケンラート・ファン・ボス(ピアノ)
VICTROLA 566-B(25cm両面盤) 1914年2月6日キャムデン録音(機械式録音)
ドイツ語歌唱
ユリア・クルプ(1880-1970)はオランダのフロニンヘン生まれ。1896年アムステルダム音楽院に入りコルネリ・ファン・ツァンデンに師事した。クルプはリートを専門にした最初の歌手とされている。クルプはこのシリーズで1910年録音のシューマン:「女の愛と生涯」(78CDR-3792)が出ている。
(4)エルネスティーネ・シューマン=ハインク(コントラルト)
VICTROLA 838-A(25cm両面盤) 1915年9月14日キャムデン録音(機械式録音)
ドイツ語歌唱
エルネスティーネ・シューマン=ハインク(1861-1936)はチェコ生まれ。15歳でドイツ楽壇にデビュー。ワーグナー歌手としてヨーロッパ各地で活躍の後、1908年にアメリカに帰化。豊かな声量、声域の広さ、すぐれた解釈力などで、多くの役柄をこなし、オペラ歌手、リート歌手として一世を風靡した。1921年(大正10年)に来日し、帝国劇場でリサイタルを開いた。