78CDR-3827
機械式録音盤(電気式録音以前)を含む復刻音源
B.フリース:モーツァルトの子守歌
1916-1936年録音
B.フリース:モーツァルトの子守歌
ベルンハルト・フリース(1770頃ベルリン生まれ-?)は医師でアマチュア作曲家だった。この人の曲がモーツァルトの作品と間違われケッヒェル番号 K.350がつけれていたのが、ケッヒェル第6版の番号改正のとき、フリートリッヒ・ヴェルヘルム・ゴッター(1746-1797)作詞、ベルンハルト・フリース作曲ということになった。最近ヨハン・フリートリッヒ・アントン・フライシュマン(1776-1798)の作曲という研究発表があった。日本語歌詞は堀内敬三(1897-1983)のものがよく知られている。
復刻には「音のエジソン」
http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu1 DSD録音機を使用した。
(1)エミー・デスティン(ソプラノ)
IRCC 5012-A(U.S.) 1916年4月21日 キャムデン録音(機械式録音)ドイツ語歌唱エミー・デスティン(1878-1930)はプラハ生まれ。1898年ベルリン国立歌劇場でデビュー。その後ワーグナー未亡人の招きでバイロイト音楽祭、ロンドンのコヴェントガーデン歌劇場、ニューヨークのメロポリタン歌劇場に出演スーパースターになった。デスティンの録音はSUPRAPHON から1999年にThe Complete Destinn(214曲収録)12CDsetが出ている。
(2)アルマ・グルック(ソプラノ)
VICTROLA 64590(U.S.) 1916年2月17日 キャムデン録音(機械式録音)英語歌唱
アルマ・グルック(1884-1938)ルーマニアのブカレスト生まれ。早期にアメリカに移住。メトロポリタン歌劇場で成功を収めた。ロシア出身の名ヴァイオリン奏者エフレム・ジンバリスト(1889-1985)夫人となり、息子にエレム・ジンバリスト・ジュニア、孫にステファニー・ジンバリストがいる。
(3)フリーダ・ヘンペル(ソプラノ)
HMV DA577-A(U.K.) 1923 年6月4日 イギリス録音(機械式録音)
ドイツ語歌唱フリーダ・ヘンペル(1885-1955)はライプヅィヒ生まれ。ベルリンのシュテルン音楽院で学び、1905年にデビューした。ベルリン宮廷歌劇場、ニューヨークのメロポリタン歌劇場に所属した。ヘンペルは1912年にの曲をベルリンで録音していた(独 GRAMMOPHON 76 042)。機械式録音時代に二度の録音
は珍しい。
(4)ジークリッド・オネーギン(コントラルト)
BRUNSWICK 15070-B(U.S.) 1923年12月31日 アメリカ録音(機械式録音)
ドイツ語歌唱ジークリッド・オネーギン(1889-1943)はストックホルム生まれ。15歳の時ミュンヘンで声楽を学び、1911年にシュトゥットガルト歌劇場で「カルメン」でオペラデビュー。この時の相手役ホセはエンリコ・カルーソだった。その後ロシアの貴族で音楽家のエフゲニー・オネーギンと結婚しオネーギン姓に改めた。
(5)マリア・クレンコ(ソプラノ)
COLUMBIA 2046-M(U.S.) 1925年4月12日録音(電気録音)
ドイツ語歌唱マリア・クレンコはロシア帝国のトムスク生まれ。モスクワ音楽院で声楽を学び、1914年ハリコフ歌劇場でデビュー。その後ボリショイ歌劇場でソリストをつとめた。フランスに移住してからヨーロッパ各国のオペラ劇場、さらにミューヨークのメトロポリタン歌劇場にも出演した。米 COLUMBIA に多くの録音を残した。これはクレンコの初録音。
(6)エリーザベト・シューマン(ソプラノ)
ローランス・コリンウッド指揮 管弦楽団
Elisabeth Schumann(soprano) Lawrence Collingwood conducting Orchestra
HMV E555(U.K.) 1930年2月17-18日 ロンドン録音(電気録音)
ドイツ語歌唱エリーザベト・シューマン(1888-1952)はドイツ生まれのソプラノ。1909年にハンブルク歌劇場でデビュー。ヨーロッパ各地のオペラ劇場に出演した。1938年アメリカに移住し1944年市民権を得た。モーヅァルト、シューマン、シューベルトの歌曲の録音を残した。
(7)エルナ・ベルガー(ソプラノ) ハンス・アルトマン(ピアノ)
Erna Berger(soprano) Hans Altmann(piano)
POLYDOR 47068(Germany) 1936年6月16日 ベルリン録音 ドイツ語歌唱
エルナ・ベルガー(1900-1990)はドレスデン生まれ。第1次世界大戦後一家は南米に移住し、1923年に生地のドレスデンに戻った。1925年にドレスデン歌劇場でデビュー、その後ヨーロッパ、アメリカの歌劇場に出演した。戦後間もなく来日しビクターに録音した。